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わんこと、飼い主さんの「ハッピー」のサポートを。

ocean styleのブログにようこそお越しくださいました。

ocean styleは京阪神地区を中心に、行動の科学である「行動分析学」に基づき、「わんこと、飼い主さんの楽しい暮らしのサポート」をしています。
「トイレのしつけ」「無駄吠え」「噛む」「唸る」といった、しつけや問題行動の改善だけではなく、「わんことのコミュニケーション」「わんこと、飼い主さんの、楽しい、嬉しい、ハッピー」のお手伝いです。

このブログでは、ocean styleの新着情報や、しつけ相談・サポート・レッスン、行動の科学セミナーに関する情報、しつけに役立つコラムなどをアップしています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。


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日々のしつけのご参考になれば幸いです。

カテゴリー: 新着情報

春なので

昨日から新年度ですね。
新年度ということで、昨日から新しいことを始めました。

この度、立命館大学大学院応用人間科学研究科に入学いたしました。
昨日は新入生のオリエンテーションでした(長かった)。
専攻は応用人間科学で、その中にある対人援助学領域というところです。
「イヌの研究をするんですか?」と聞かれるんですが、「イヌの研究」というよりは、「ドッグトレーニング」「ドッグトレーナー」の研究という感じでしょうか。

そんなわけで、これから2年間社会人院生として「ドッグトレーニングとかドッグトレーナーっていうのは『対人援助』なんだよ!」っていうことを、わっさわっさとやる予定です。

今年は大学院以外にも、イヌだけじゃなく、他の動物の行動やら認知やら学習やらを研究されている方々と、色んなことをする予定(あくまで予定ですが)なので、わっさわっさと頑張ります。
もちろんお仕事も超頑張ります。

ではでは改めまして、今後ともよろしくお願いいたします。

カテゴリー: お知らせ

叱るべきか、叱らないべきか… それは問題か?

「イヌを叱るべきか?叱らないべきか?」

どっちだと思います?

ある人は言うわけです。

「悪いことをしたのなら、ちゃんと叱らなければならない」

またある人は言います。

「別に叱る必要はない」

どっちなんでしょうね。

ここで大事なことは「手段」と「目的」をちゃんと区別して考えることです。
「叱る」というのは、あくまでも「手段」のひとつです。
つまり「これこれこういうことのために、叱る」わけです。
じゃあ、なんのために叱るんでしょう?

わかりやすく結論を言えば「賢い行動をさせるため」です。

イタズラをしていたり、飛びついたり、吠えたり、噛んだり、トイレを失敗したりと、色々と「ヒトにとって都合の悪いこと」を、イヌはたくさんやったりします。
そしてそれらをまとめて「問題行動」と呼んだりするわけですが、それらを「やめさせるため」に、「叱っている」方が多いと思います。
この「やめさせる」ことが、なぜ「賢い行動をさせる」ことに繋がるんでしょうか?

多くの方(これは飼い主さんだけでなく、プロの方も同様ですね)は、↑に書いたように「問題行動、つまり悪いことをやめさせるため」に叱ってらっしゃると思います。
しかし「問題行動をやめさせるため」だけでは足りません。
当たり前ですが「問題行動をしている瞬間に叱る」ということをした場合、イヌが固まって動かなくなるわけではありません。
別の行動が出ます。

たとえば「飛びついてきたので、ダメと叱ったら、オスワリをした」みたいなことですね。
あるいは「イタズラをしているので、コラと叱ったら、上目づかいでこちらに擦り寄ってきた」みたいなことです。
しつけの本にも書いてありますよね。

「叱ったあとに賢い行動をしたら、褒めてあげましょう」

そうなんですよ。
「叱ったあと」が大事なんです。
「叱ったあと」に、イヌが「賢い行動をするかどうか」が大事なんです。
「叱ったあと」に、イヌが賢い行動をして、それを褒める」のが大事なんです。

てことはですよ?
「悪いことをやめさせる」というのも、結局は「賢い行動をさせて、それを褒めるため」の、「手段のひとつ」でしかありません。

つまり「叱る」っていうのは、「賢い行動をさせるための、手段のうちのほんの小さなひとつ」でしかないわけです。
そう考えると「叱る」ってこと以外にも、「賢い行動をさせる方法」って、いくらでもあると思いませんか?
実際、たくさんあるんですよ。

そして、もうここ何年も言い続けてることですし、本当にそう思うんですけどね。
「自分のイヌを叱りたくて叱ってる飼い主さんなんて、一人もいない」と思うんです。
あなたはどうですか?

「叱らないとダメ」って、本に書いてあったから叱ってるだけじゃないですか?
「叱らないとダメ」って、誰かに言われたから叱ってるだけじゃないですか?
「叱らずに済む方法」を単に知らないから、叱ってるだけじゃないですか?

本当に「叱らないとダメ」ですか?
そして、それはうまくいってますか?

もしうまくいってないんなら、別のやり方を探した方が、建設的なんじゃないかなと思います。

わんこを褒めて、わんこは褒められて。
お互いに「褒めて、褒められる関係」でいられる家族って、素敵だなぁと思うわけなんですよ。

でもって、その方がきっと楽で楽しいです。

やっぱり「は正義」ですね。

カテゴリー: 「イヌを叱る(罰)」を考える, 考え方のベースアレンジ | タグ:

ゆとりきょういく?

ヒトがイヌと暮らすっていうのは、「生態も文化も何もかもが違う異種族同士が暮らす」ってことですよね。
どうせ暮らすんなら、やっぱり「楽しい」方がいいですし、「」なのに越したことはないなと。

「イヌとの暮らし」っていうのは、「これができたら終了」みたいなゴールはないわけです。
「しつけ」とか「トレーニング」みたいなのってね、「ある一定期間教えるべきことを教えて、こういう状態になったらそれで終了」みたいに捉えてる方も結構いらっしゃると思うんですけど、これを「暮らし」って考えるとそうはならないですよね。
ご結婚されてる方ならわかると思うんですが、やっぱり「日々の相手とのやり取りの積み重ね」っていうのが、あるわけじゃないですか。
そういう「繰り返しのあるやり取り」を重ねていきながら、互いに居心地の良い暮らし方っていうものを、少しずつ積み上げていく。
「イヌと暮らす」っていうのも、同じだと思うんですね。
勉強とか、何かの資格を取るとか、仕事とかだと、それぞれに明確な「目標=ゴール」があって、それが達成できたら終了、あるいはひと区切りになりますが、「一緒に暮らす」ことのゴールっていうのは、まあ「死が2人を分かつまで」は訪れないわけです。
「あがり」が無い。
だったら、その道のりはできる限り「」で「楽しい」ものであればいいなと。

で、僕としてはその「楽で楽しい」を、「いま、ここ」からスタートできることを目指したいんですね。

こう「しつけ」とか「問題行動の改善」とかって、なんだか「修行」みたいに捉える風潮もあるじゃないですか(ないかな?)。

「いまは確かに色々と問題はあるし、しんどいかもしれないけれども、ここを踏ん張ればいつか楽になります」みたいな。

僕はそういうのではなくて、「いま、ここ」から「楽で楽しい」ってなれば、いいなぁと思うんですね。
で、そういうことのために「行動の科学」とかがあるんだと思うし、プロの方がいるんだと思うんです。

「正の強化でどうたらこうたら」と僕は普段から言ってたりするんですが、とどのつまりは「いまこの瞬間から楽しかったら最高だぜべいべ」ってことです。

で、そのときにまず考えるべきなのは「飼い主さんが楽かどうか」だと思うんですね。
だから、まず最初に目指すのは「とにかく楽に生活が回せるかどうか」だと思います。

たとえば家の中でのイタズラがすごいと。
もう、少しの間も目が離せないと。
だったら、できるだけイタズラが起きない環境を、まずは作る
サークルを設置してもいいし、色々と片づけるでもいいと思います。
すると、1日のうちの何割かは「イヌから目を離せる時間」っていうのができます

子育てとかでも同じだと思うんですが、大体は「お母さん」が主体となってることが多いですね。
家事をやり、子供の面倒も見、自分の時間が一切持てないってなると、これはしんどいです。

最近、色々と見ていて思うのは「育メン」とかいって、家事や子育てを手伝ってくれる旦那さんっていうのは増えてるみたいなんですけど、どうも「ただ手伝う」のじゃダメなんだなぁと。
それよりも「1人で居られる時間」「自分の好きなことを誰にも邪魔されずにできる時間」っていうのがあるかどうか。
週に1日でも2日でも、「子どもの寝かしつけはおれがやっておくから、映画観たり、お酒飲んだりしていいよ」みたいな日があるのかどうか。
細切れに「ゴミ出しは手伝ってます」とか、「ご飯を作ったりしてます」とか、「子どもの面倒を見たりしてます」とかよりも、「ふっと息を抜ける時間」が、ちゃんと確保できてるかどうかっていうのが、どうやら大事なんだなと。

わんことの暮らしも、同じだと思うんですね。
ずーっとわんこの行動を見て、悪いことをしたら叱り、良いことをしたら褒めるみたいなのって、まあしんどいと思います。
でも、いまよりも少しでもゆとりができれば、わんことも楽しく向き合えるといいますか、同じ「褒める」にしたって、いい感じに褒められるといいますか。
その「ゆとり」をいかに作るか?っていうのは、これ大事だなと。

そういった意味では、イヌの幼稚園みたいなところを利用するのもアリだろうなぁと思ってます。
もちろん、預ける先はちゃんと選ばないとダメですし、お金もその分かかりますけど。

あるいは、散歩中の引っ張り癖がすごいと。
もう、腕も肩もパンパンですと。
でも、おやつ見せると横についてくれますと。
なら、もうそれでいいじゃんっていう。

「食べ物に頼っていては、ちゃんとしたしつけにはなりません」みたいな意見もありますけど、別に「ちゃんとしたしつけをするためにイヌと暮らしてる」ってわけじゃないでしょう?
「しつけ」はあくまで「手段」であって、「目的」じゃないです。
「楽に楽しく暮らすための手段」のひとつが「しつけ」なんであって。
どうもここがあべこべになっちゃってる人が、少なからずいらっしゃるように思えるんです。
あなたはいかがですか?
「食べ物使えば楽にお散歩できるんですー」だったら、もうそれはとてもいいことなんじゃないかなぁと思うんですね。

飼い主さんは楽にお散歩できるし、わんこも散歩楽しいし、おやつももらえるしで2倍ハッピーですよね。
さらに楽にお散歩できるから、行けるところも増えるし、距離も伸びるでしょう。
飼い主さんも笑顔でお散歩できるでしょう。
お互いにますます楽しいですね。
これはもう、3倍も4倍もハッピーです。

やっぱり、」は正義だなと思う次第です。

カテゴリー: 考え方のベースアレンジ | タグ: , , , ,

あけましておめでとうございます または所信表明てきなナニカ?

あけましておめでとうございます。

とっても久しぶりのブログ更新です。
2014年の3月に、大学を5年かかってようやく卒業しまして(といっても元々5年計画だったので予定通りなんですが)、じゃあそれで何か変わったか?といえば変わったような気もするし、何も変わってないような気もします。

ただ、去年は「トレーニング・訓練をしない」ということに、割とこだわった1年でした。

別に「トレーニング・訓練」なんてものをわざわざしなくても、わんことの暮らしが楽しくなるんならそれでええんとちがいますの?という。

考えてみれば当たり前の話で「トレーニング・訓練をしたくて、わんこと暮らし始めました」なんて人は、まあほとんどいらっしゃらないでしょう(アジリティとかディスクとかのドッグスポーツ等をやってらっしゃる方の中には、そのためのわんこと暮らしてますという方も、いらっしゃるとは思います)。
でも、トレーナーさんとかインストラクターさんとかが「しつけは大事です」「トレーニングは必要です」「ちゃんと訓練しましょう」って言うから、多くの方が「イヌと暮らすには、トレーニング・訓練が必要なんだ」と思ってらっしゃると。
そう思わされていると言った方がいいかな?

もちろん、場合によってはトレーニングが必要なこともあります。
でも、トレーニングがどんな場合でも必要と言うわけではありません。

分かりやすい例でいえばです。

「ご飯を食べてるときに覗き込むと、すごく唸るんです」

こんなご相談があるとします。

詳しく聞いてみると「唸るのはご飯のときだけです」なんてことがあったりする(割とよくあります)。
でも飼い主さんは「唸るのは悪いこと」だから、「なおさなきゃいけない」ということで、本を読んだり、イヌを叱ってみたり、なだめてみたり、しつけ教室に通ったり、トレーナーさんをお家に呼んだりして、色んなトレーニングやら訓練やらをするんですね。
しかし、なかなかなおらないと。
で、「今までとは違うトレーニングを教えてくれそうなプロ」を、頑張って捜すって感じでしょうか。

でもね。

「ご飯のときに覗き込まなきゃ唸らないんだから、覗き込まなきゃいいじゃん」

話はこれで終わりですよね。

まあ、中には「ご飯の最中に唸るのはイヌがリーダーになっているから云々」という説もありますけど、「イヌがリーダーになってるからどうしたこうした」とかいうのは、結論を言えばただの嘘っぱなんで、どうでもいいです。
現に「ご飯のとき以外には唸ってない」んだから、別にいいじゃないですかと。

飼い主さんが必要としているのは「トレーニング」や「訓練」のやり方じゃなんですよね。

「いまある問題が解決する知恵や工夫」
「いまよりもうちょっと楽に生活できるための知恵や工夫」
「いまよりもうちょっと楽しく暮らせるための知恵や工夫」

この辺を必要とされているわけで。

とりあえず楽に楽しく毎日暮らせればいいんじゃないかなーと思います。
もちろん「トレーニングすることが楽しいんだ」という方もいらっしゃると思います。
ただ「トレーニング」「訓練」っていうのは、あくまでも数多ある手段のひとつというだけで、「そんなのしなくても、楽に楽しく暮らせる工夫があるかもしれませんよー」って感じですね。

努力ゼロで楽しく暮らせたら、すげぇハッピーじゃないですか。

」は正義。

そんなわけで、本年もよろしくお願いいたします。

カテゴリー: お知らせ, 考え方のベースアレンジ

もうすぐ卒業 そしてブログ再開

ご無沙汰しております。

昨年末に卒論を提出しました。
卒論のポスターセッションも先日終了しまして、残すところは口頭試問だけとなりました。

卒論のポスターがこちら。

poster

僕の卒論のテーマは、ずばり「ヒトとイヌのコミュニケーション」と「トレーニングの再考」です。

イヌとのコミュニケーションというと、大体の場合「イヌのボディーランゲージを読む」みたいな話になってるかと思います。
そんな感じの本もいっぱいありますしね。
でも、それはどうしても「観察者の想像」の域を出ません。
イヌに実際に確かめるということは、ほぼ無理だからです。
そこで、僕は「ヒトにもわかる形で、イヌの要求を表現・表明してもらう」ということを、卒論のテーマとしました。

ものすごーく簡単に説明すると、イヌに対して複数の選択肢のスイッチを呈示してですね「いま、やりたいこと、欲しいものを選んでもらう」ということをしたわけです。
たとえば「おもちゃ」「だっこ」という選択肢があって、「おもちゃ」を選べばおもちゃで遊んであげて、「だっこ」を選べばだっこをしてあげる。
仮に、呈示されている選択肢が気に入らなければ「ちがう」という選択肢を押してもらって、新たな選択肢を呈示するという具合です。
これなら「ボディーランゲージを読む」とかしなくても、「ヒトが分かる形」で「イヌの要求」を表現・表明してもらえるなと。
つまり「ヒトとイヌのコミュニケーション」を、「成立させる」という方向での取り組みですね。

これから色々と詰めていかなきゃならないなぁと思いつつ、まあまあうまくいったかなぁと思っています。
とりあえず、実験のご協力いただいたわんこさんと飼い主さんには、今後もご協力いただけるので、1年ぐらいかけてじっくり腰を据えて追いかけていこうと考えています。

コミュニケーションについてはこんな感じで、もうひとつが「トレーニング」について。

↑にも書いたように、この研究は「イヌに要求してもらう」というのがテーマなんですね。
しかし、私たちが「ドッグトレーニング」または「イヌのしつけ」と言うとき、ほとんどの場合において「ヒトの要求を、イヌに通すためにやる」ものです。

「トイレはここでやってください」
「知らないイヌに吠えないでください」
「お家の中では静かにしましょう」
「私の手ではなく、おもちゃで遊んでください…足もダメです…靴下もです
 …TVのリモコンなんてもってのほか…ティッシュもだ」
「それはあなたのご飯ではありません」

こんな感じ。
イヌの健康や命にかかわることだってたくさんありますから、当然「やって然るべき」ではあると思います。
ただね、ただ、「イヌは家族」と言いながら、「イヌの意見」を聞くことって、あんまり無いんじゃないかなぁって思うんですよ。
だから「分かる形で要求してもらうためのトレーニング」という、従来のトレーニングとはある意味真逆の方向で、「トレーニングしてみる」ってことを、やってみたかったわけです。

ま、結果としては「欲しいもの、やりたいことを選ぶ」ということをやってくれた感じなので、うまくいったかなと。
先生にも「面白いことやりやがって」と褒めていただけたので、本当にうれしい。
今後、卒論をもとにまた色々やって、書いて、どっかに出すことになると思います。

ひとまず、頑張って卒論書いて、提出して、大学もいよいよ終わりです。
丸5年ですか。
我ながら、頑張ったなぁと思います。

そんなわけでこれからは、僕が5年間かけて学んだことを、どんどんお届けしていこうと思います。

よしがんばるぞ。

カテゴリー: お知らせ

「散歩のトレーニング」じゃなくて「アレンジ」 おべんと持ってちょっとそこまで 2

トレーニングモード(または訓練モード)」っていう言葉、聞いたことはありますか?
大体「トレーニングモードに入ると、ちゃんと言うこと聞いてくれんるですけど」みたいな感じで使われます。
似たようなものに「訓練のスイッチが入れば、ちゃんとやってくれる」みたいなものもありますか。

要は「いつも言うこと聞いてくれるわけじゃないんだけど、そのモードに入りさえすればなんとかなる」って意味で、これまた大抵の場合「そのモードに入ってくれなくて困る」とか「ほんとは、そういう風に区別せずに動いて欲しいんですけど」みたいな、隠れた要望があったりします。

あ、飼い主さんの要望ね。

前回のエントリで「散歩のトレーニングじゃなくて、散歩をアレンジする」てなことを書きました。

これは、こういうイヌが「区別しちゃう」のを、予防するというのも目的のひとつです。

ではまずは、なんでこういう「区別」が起きちゃうのか?って話を。

こう、いわゆる「トレーニング」ってやつをですね、「場所」を決めてやるとちょっとうまくいかなかったりするんですね。
公園だったり、ちょっとした広場だったり、河川敷だったり?
そういう風に「トレーニングする場所」みたいなのを決めて、そこだけでやっちゃう。
で、それをやると「イヌが区別しちゃう」なんてことが起こるんですね。

専門的には「弁別学習」とかって言うんですけれども。

じゃあ、「何と何を区別してるのか?」というと、「トレーニングの場所」と「そうじゃない場所」を区別します。
なんでそんな「区別が起こるのか?」というと、「トレーニングの場所だけで、トレーニングしてるから」なんです。

人によっては「そんなことありません。散歩中、常にトレーニングをしています」という人もいらっしゃるかもしれません。

でも、結構な割合で「トレーニングする場所」と、「そうじゃない場所」とで、「飼い主さんの動き」が違うことは本当に多いと思うんですね。
その「飼い主さんの動き」っていうのは、具体的にいうと「褒める」です。
「また褒めるの話かよ」と思うかもしれませんが、また褒めるの話です。
それぐらい大事なことなんですよ。

「褒める」もうちょっといえば「褒める頻度」「褒め率」です。

トレーニングの場所や場面では、飼い主さんも集中してたりしますから、「褒め率」は結構高めです。
なんなら、「褒め率:.825(8割2分5厘と読みましょう)」なんて高打率を叩き出す人もいるかもしれません。
イチローも真っ青ですね。
でも、たとえば公園を一歩出て、さああとは帰るだけだとなったら、途端に「褒め率」がガクンと落ちたりします。
それこそ「褒め率:.052」みたいな低打率。
ピッチャーか?っていうぐらいの打率です。

で、こういう「褒め率の違い」があると、イヌは「飼い主さんの褒めがあるときー」と、「飼い主さんの褒めがないときー」とで、きっちり区別します
551の蓬莱のCM並に区別します(関西ローカルですみません)。
なんならそれ以上に区別します。

緊張感がどうとか、飼い主さんの気合いがどうとか、「絶対に言うことを聞かせるんだという気迫のもと、出したコマンド」とかよりも、単に「褒めてる率の違い」が、行動にものすごく影響を与えます
というか、「弁別学習(こういう区別をする学習)」っていうのは、「行動の後にある、いわゆる報酬の違い」によって、どんどん進んでいくんですね。

「行動の前にあるきっかけの部分」-コマンドの出し方とか、手の位置とか、イヌの目を見るとか-を気にされる方は多いんですけど、大事なのは「行動の後にある結果の部分」なんです。

繰り返し何度も「イヌのコントロールが上手な人は、褒めるのが上手」と書いているのは、ここも根拠のひとつになってます。

「強化なくして弁別なし」ですから。

でも、前回のエントリに書いた「わんこのおべんと持って、ちょっとそこまで」なら、結構防げるんじゃないかなー?と思うんです。

続きます

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「散歩のトレーニング」じゃなくて「アレンジ」 おべんと持ってちょっとそこまで

前回のエントリの中に、こんなことを書きました。

また、この子達はアイコンタクトばっちりですが、前回のエントリにもちらりと書いたように「アイコンタクトのトレーニング」みたいなことは、一切やっていません。
そんなことをしなくても、これぐらいのアイコンタクトは自然にできるようになります。

じゃあ、実際には何をやったのか?というと、それも前回のエントリに書いたこれです。

 ・自分のそばにいる(歩いている)ときに褒める
 ・自分を見たら(気にしたら)褒める

この2つをやっただけ。

「褒める」というのは、ものすごくシンプルに、食べ物を与えています。
このブログで「褒める」と書いているときは、大体「食べ物を与えている」と考えていただいて結構です。
こういうことを書くと「食べ物で釣ってる」とか、「食べ物がないとできない」とか、そういうことを思われるかもしれません。
その辺については、以前のエントリで山ほど書きました。

とりあえずかいつまんで結論だけを書きますと…

「褒める」ことの本質は、あくまでも「相手が喜ぶものを渡すこと」であって、こちらが一方的に「これで喜べ」と決めるものではありません。
「食べ物なしでもきちんと言うことを聞く」ってのは、「給料なしでもきちんと働く」ってのと同じです。
「褒める=相手が喜ぶプレゼントを贈る」これが鉄則です。
また「食べ物がないとできない」のではなく、「食べ物があればできる」なんです。
これは「メガネがあれば見える」「車椅子があれば外出できる」「車や電車があれば遠出できる」という、ある種の物理的な援助設定です。
あくまでも「できるための一工夫」と考えていただければなと思います。

とまあ、ちょっと小難しいことを書きましたけれども、お散歩の話でいいますと「わんこのお弁当を持って散歩に行く」ってことです。

「褒める」についてもうちょっと詳しくお知りになりたい方は、以前のエントリを色々と読んでいただければいいかなぁと。

で、そういうちょっとした「できるための一工夫」の結果の一例が、前回のエントリに出てきた写真の子達なわけです。
やってることは「散歩にドライフードを持っていく」「適切なタイミングでフードをあげながら散歩する」この2つ。

「ツケ」とか「ヒール」とか、「スワレ」とか「マテ」とかいうコマンドを教えるわけではなく、ただただ普段の散歩」に、「フードあげながら褒める」というのを、ひとつ足してるわけですね。

もちろん、わんちゃんの状態というか、お悩みや困りごとのレベルによって、やるべきことっていうのは増えたりします。
でも、基本は「褒めながら散歩する」っていう工夫なわけです。
だから最近は、「散歩のトレーニング」とかいわずに、「散歩をアレンジする」なんて言ってます。

あまり肩肘張らずに、とりあえず「わんこのおべんと持って、ちょっとそこまで」ぐらいの気持ちで、お散歩に出てみてはいかがでしょう?

場合によっては、世界が変わりますよ?
いやこれ、決して大げさな話ではなくね。

続きます

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